ZAITEN2021年05月号
興銀出身常務への“お願いメール”送信で――
みずほ行員「自宅待機5年」退職強要の戦慄【全文無料公開、5/19改定】
カテゴリ:企業・経済
【2021年5月19日=編集部注】
2021年4月30日、「退職強要」に追い込まれたみずほ銀行行員本人の承諾を得て本誌「ZAITEN」2021年5月号掲載(4月1日発売)の記事全文を公開しました。結果、読者およびネット上のみなさまから大きな反響を得る一方、4月1日の掲載誌発売以降、行員本人に対し、みずほ銀行は不可解かつ驚くべき対応を取り続けています。
つきましては、その詳細を6月1日発売の本誌7月号で深く報道する予定です。そのため、本誌編集部は本日、みずほフィナンシャルグループの関係各所に取材申込を行いました。
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【2021年4月30日=編集部注】
「退職強要」に追い込まれたみずほ銀行行員本人の承諾を得て、2021年5月号掲載(4月1日発売)の全文を公開します。
曲がりなりにもメガバンクの一角である、みずほ銀行で起こっている不条理と理不尽について、多くの方に知って頂くために公開いたしました。読者のみなさまのご感想他を広くお待ちしております。
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直前までは佐藤康博以下、経営陣から顕彰されていた中途入行の行員は"1通のメール"で働き盛りの40代を棒に振った。さらに、悲痛な「内部通報」は捻じ曲げられた―。行員を人とも思わないみずほ人事部の恐るべき実態とは――。
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「私は何か不正をしたわけではありません。にもかかわらず、執拗に退職を強要され、5年間も自宅待機を強いられています。結果、働き盛りの40代半ばを仕事も与えられず、無為に過ごすことを余儀なくされた。なぜこのような目に遭わなければならないのか」
悔しさを滲ませて語るのは、みずほ銀行調査役の50代男性。2016年4月、人事部から口頭で「自宅待機命令」を受けて以来、現在まで出勤できていない。組織ぐるみのパワーハラスメントに苦しみ、精神科などに通院。18年末に内部通報に踏み切るが、適切な対応はなかったという。挙げ句、今年3月には給与の支給が全額停止された。「精神的な限界はすでに超えている」と語る。
男性は自宅待機命令には、正当な根拠がないと主張。「銀行は認めませんが、そもそものきっかけは、ある上司の態度を注意したことだと確信しています」と話す。男性が振り返る日々は、みずほの想像を絶する暗部だった。
旧興銀部長へのメール直後に支店に人事が「臨店」調査
「30代後半でみずほに中途入社しました。質の高いコンサルティング業務が可能で、結果を出せば正当に評価してくれることに、家族ともども感謝していました」
男性は07年に地方銀行からみずほ銀に転職。関西エリア限定採用で入社した。以降、優秀な成果を上げて、社内の「アウォード賞」を10、13、14年と3度も受賞。13、14年には当時みずほ銀頭取で、現みずほフィナンシャルグループ(FG)会長の佐藤康博以下、経営首脳、役職員延べ1000人の前で「タブレット端末研修」の講師役を務めた。関西でも多数の表彰を受け、社内雑誌に紹介されるなど、仕事にやりがいを感じ、充実した日々だった。
しかし、ある「事件」をきっかけに状況が一変する。
京都支店の課長代理として、業務推進・CS推進担当を兼務していた14年、前年の旧みずほ銀と旧みずほコーポレート銀行(CB)の合併を受けて、両行の支店オフィスも統合されることになった。その際、男性と同じフロアにやって来たのが、CB京都営業部の部長だった須見則夫。旧日本興業銀行出身(88年入行)で「人事に強い」と囁かれる人物だった。
そして14年12月、男性は須見に1通のメールを送る。須見は営業時間中、来店客から見える場所で足を組みながら新聞を大きく広げて読むことが日課だった。行員も気になっていたある日、客から「あの偉そうに新聞を読んでいるのは誰だ」と苦情が入ったため、そのような態度を顧客に見せないようお願いする趣旨だった。
「本来は支店幹部から言ってもらうべき立場ですが、副支店長や課長からは『関わらない方が良い』と言われました。でも、担当者としてCS向上へのご協力をお願いするつもりで、失礼がないように丁寧な文章を心がけました。直属の上司にも修正をお願いし、支店長と副支店長をCCに入れて、須見部長にメールを送ったのです」
翌日、副支店長が慌てた様子で男性に『部長が激怒している。あいつは絶対に許さないと言っていた」と告げた。その後、東京の人事部から複数名による突然の「臨店」が入り、強制的に聴き取り調査が始まったのだ。支店は異様な雰囲気に包まれた。しかし、男性にだけは調査の声がかからない。同僚からの話で人事が調べているのは自分だと知った。程なく、人事を動かしたのは須見だと悟る。
「臨店最終日にも呼ばれることなく、直接の注意や指導もありませんでした。ところが後日、廊下で須見部長とすれ違った時に睨まれながら小声で『覚えておけよ』と言われました。背筋が凍る思いがして、報復人事を覚悟しました」
執拗な「退職強要」面談と口頭での「自宅待機命令」
年が明けて15年3月、男性は東京・大手町本部の人事部に呼び出される。対応したのは当時30代だった参事役、小野正詔。臨店での調査結果が告げられ、『部下への指導が厳し過ぎる』と指摘された。さらに須見に送ったメールの件を咎める発言もあった。
「『須見部長への失礼な態度について君はどう思っているのだ』と詰問されました。その場では謝罪するしかありませんでした」
この時は口頭注意で終わったが、7月の人事で大阪のウェルスマーケティング部PB室への異動が決まる。営業職から外され、事務職への変更だった。
直後、再び東京の小野に呼び出される。『今度、生意気なことをしたら分かっているね』と言われたが、帰りにエレベーターに向かう途中、小野が歩きながら漏らした言葉を男性は覚えている。
『当時の須見部長の行動は誰もがおかしい行動だと思っている』
『相手が悪いな。しかし、みずほにいる以上、ね』
「この発言を聞いて、異動は須見部長が原因だと確信しました」
16年1月にはウェルスマーケティング部のオーナー運用チームに配置換えとなる。しかし、異動だけでは済まなかった。3月25日、男性はまたも小野と、同じく人事部参事役の油井寛(現水戸支店長)に東京の本部に呼び出される。そこで突然、小野から思いもよらない言葉を浴びせられた。
『会社を辞めてください。4月からは来なくて結構です。次回の面談までに家族と相談してください』―。これが1回目の退職強要だった。男性は2人から終始睨みつけられたが、「理解できません」と拒否。すると、4月7日にまた呼びだされ、今度は3時間にわたり退職を迫られた。ここでも拒否すると、小野から『今後は会社に来なくて結構。就職活動をしてください。朝夕の業務連絡によって出社扱いにします』と、明確な理由説明もないまま、口頭で自宅待機を命じられた。
小野と油井による面談はその後も執拗に続き、5月と6月は月2回のペースで行われた。早期の復職を訴えると、2人に指示される通りに《「コミュニケーション問題」の事象内容と今後の再発防止策について》と題した謝罪文を書かされた。7つの些細な事案を反省させられ、7番目には須見へのメールの件も含まれていた。6月20日の面談では、3度目の謝罪文を提出する際、小野から強い口調で『職を辞すると書け』と迫られた。拒否すると油井からは遠方への転勤の可能性を示唆された。男性は言葉が出なかった。
自宅待機で精神を蝕まれる
部署異動は〝事後通告〟
自宅待機が始まると、就職活動以外は外出を一切許されなかった。途中からは図書館だけは許可が出た。直属の上司だった次長の山口治紀に毎日朝と夕方に業務連絡をすると、『何か報告は?』と退職の表明を冷たく促される。異常な日々が男性の精神を蝕んだ。
「子どもは学校に行っているのに、自分は自宅のソファーで横になって......何をしているのかと思うと、本当に辛かった。人生の無意味さに、給料を止められるのではないかという不安も相俟って、夜中に大声で叫んだり、ホームセンターでいつの間にかロープを買っていたりということも......。そこまで追い詰められて、自分は病気なのだと気づきました。家族の支えがなかったら、あの時にどうなっていたか分かりません」
男性は16年6月の面談後から精神科に通院する。ただ、症状に改善は見られなかった。一方、面談は容赦なく繰り返され、10月までに合計10回も行われた。
上司の山口には、毎日の業務連絡の際、「パワハラ面談をやめさせて欲しい」と訴えることもあった。しかし、こう突き放された。
『僕に相談されても困る。人事からは何もしなくていいと指示されているからね。正直言ってあなたとは一緒に仕事をしたくない』
7カ月ぶりに小野との面談があったのは17年5月。場所は大阪だった。そこで衝撃の事実を聞かされる。実は4月1日付で所属部署が東京に移り、男性は東京に異動になっていた。事後通告であり、関西エリア限定での採用も無視された。男性が混乱していると、その日のうちに大阪の部署に置いてあった荷物を整理させられ、私物は自宅に送られた。2日後には、セキュリティカードや鍵を急遽返却させられた。
「これで完全に戻る場所がなくなったと恐怖を感じました。この異常な状態を山口次長に伝えると、出社できないのは銀行のせいなのに、『会社に来なくても出勤対応にさせてあげているのだから』と逆にパワハラ発言をされました」
自宅待機命令はさらに続く一方、山口に出勤申請しても承認を得られない事態が頻発するようになる。そんな中、17年11月にみずほFGの従業員1万9000人の削減計画が報じられると、「自分と同じ境遇の人が、他にもいるのではないか」と思ったという。
その後、油井から自宅待機を理由に通勤費がカットされ、会社の携帯電話の返却も指示された。一連のきっかけとなった須見は、18年4月の人事で銀行の執行役員に昇格していた。男性の体調はますます悪化し、動悸や頭痛も激しく、髪の毛が大量に抜け始めた。
18年11月には、上司が山口から次長の長谷川英正(現三ノ輪支店長)に変わった。朝夕の業務連絡が遅れると、長谷川から嫌がらせと受け取れるメールが届いた。担当医からは体調が悪化するので、銀行のことは考えないようにと指導された。自宅待機命令が出てから間もなく1000日。男性は、精神的に限界を迎えた。
内部通報で慌てた人事
ようやくの「調査」も...
「もう銀行の中では誰も信用できませんでしたが、方法はこれしかありませんでした」
男性は18年12月7日、明確な説明がないままの自宅待機命令や、退職強要面談の異常さと違法性を社内メールに記載して、内部通報した。送信先は直属の上司である長谷川。さらにCCに8人を入れた。みずほFGでは、執行役員で取締役コンプライアンス統括グループ長の西山隆憲(現みずほリース常務執行役)、取締役会議長(社外)の大田弘子、社外取締役の小林いずみ(現取締役会議長)。そして、執行役員人事グループ長の小嶋修司(現みずほドリームパートナー社長)。みずほ銀では人事部長の宇田真也(現執行役員)。他にも所属部の部長の高木淳(現大阪営業第二部長)、労働組合の正副委員長――である。
みずほFGによると、内部通報制度に基づくコンプラ運営体制は、社長と銀行頭取らが統括し、コンプラ統括部が企画・推進を行うとされている。ところが、実際に動き始めたのは人事だった。
内部通報の3日後、上司の長谷川からの着信に応答しないでいると、人事の油井から電話がかかってきた。油井は退職強要をした当事者である。電話に出ると、それまでの高圧的な態度とは一変し、「自宅近くまで行くので一度お邪魔したい」と言ってきた。男性は人事の関係者と会うつもりはなかったが、油井からはその後も「連絡して欲しい」といったメールが届く。かなり慌てている様子が男性にも分かった。
人事からの連絡は19年1月になると、さらに態度を軟化させた内容に変わっていく。担当は、油井から河辺賀道に変わった。河辺からは「ご意向に沿うように対応したい」「今までの人間関係を離れて新しい立場で話を伺いたい」といった趣旨のメールが届く。
「内部通報をしたのにコンプラ部門ではなく、自分を退職させようとした人事から連絡が来ることに、隠蔽の意図を感じました」
人事からの連絡が相次ぐ中、男性は直接やり取りすることをやめて代理人弁護士を立てた。弁護士は19年1月16日付で銀行頭取の藤原弘治宛てに通知書を送付。内容は、1000日に及ぶ自宅待機命令と、度重なる退職強要についての違法性を指摘するとともに、実態の確認と原因解明、それに男性への謝罪を求めるものだった。
これに対し、銀行側も代理人として岩田合同法律事務所を立て、金銭による解決か、もしくは復職に向けた話し合いの可能性を示唆してきた。男性側が応じずに、あくまで実態解明を求めると、みずほ側からは2月7日に社内調査を行うと通知があり、2月28日に調査報告書が送られてきた。
調査は岩田合同が実施。社内文書を確認し、小野と油井に話を聞いたという。報告書には、最初の面談2回は「退職勧奨」だが、退職を強要する言動は認められない。さらに、自宅待機を命じた理由は職場でのトラブルを避けるためで〈精神的な負荷を与える目的はなかった〉と結論づけている。
面談を行った理由は〈他の行員に対する厳しい言動及び上司への反抗的な態度を示す事情が見られたため〉だとして、具体的な事実関係が7点記載されている。しかし、身に覚えがないものや、実態とかけ離れている内容がほとんどだった。須見との事案についての記述もあった。〈部長に対する顧客名を述べた上での苦情メールの送付〉など3点のトラブルを臨店して調査したが、〈服務規律違反とまでは認定できないと判断〉したと書かれていた。無論、法律に抵触する不正行為などなかった。
男性側は報告書を受けて3月に通知書を送り、事実と乖離した内容だと抗議した。また、退職強要や自宅待機命令の背景には須見へのメールがあると確信しており、今また内部通報を組織的に隠蔽しようとしているのだと指摘した。
その後、弁護士同士でやりとりを続けたものの、みずほ側は「経営陣からの謝罪はできない」という見解だった。交渉に失望した男性の体調はさらに悪化し、弁護士との契約を解除。調査結果の真偽や自宅待機命令が長期間にわたっている理由、謝罪できない理由などの説明を求める「最終通知書」を昨年1月、取締役会議長の大田宛てに送付した。以降、男性は岩田合同を介したみずほ側からの呼びかけには答えなくなった。
一方、須見は翌月の人事異動で常務執行役員に昇格している。
出社命令違反で「給与停止」
〝粛清〟を進めた石井副頭取
その後、みずほ側は「就労を継続する意思の有無」と、「希望される勤務場所並びに健康状態」を知らせるよう求める業務命令を男性に出すようになる。昨年4月、ようやくコンプラ統括部を交えた面談を提案するようになったが、みずほ側が「19年2月の調査が正式な見解」という立場を崩さないことから、男性は応じなかった。
一方、男性は自分が置かれた状況を知ってもらいたいという思いから、昨年6月以降、みずほ側への内部通報に加え、外部関係者にも内部告発書を送っている。FG会長の佐藤が副会長を務める経団連宛てに文書を送付。さらに、みずほの終身名誉顧問であるNHK会長の前田晃伸にも、真相解明を求めた。男性が体調不良で文書を作れない時には、妻が直筆の文書を送ったこともたびたびある。
みずほ側は男性のこの行動に対して、再び態度を硬化させた。就労継続の意思と健康状態について回答がなかったことを業務命令違反として、4度の懲戒処分を出している。昨年10月は厳重注意、11月は譴責。そして今年2月には出社命令に従わなかったとして給与を6割カットする減給処分、翌3月には給与を全額支給停止とした―。これが現在の状況だ。
一連の経過を振り返ると、調査の内容や過程もさることながら、コンプラ統括部が直接動いたのは内部通報から1年5カ月も経った昨年4月なのだ。みずほ銀のコンプラ部門は通報を受けると、一般的に「問題を速やかに解決すべきとの考えに基づき、通報受付後、通報者との間で通報者の情報の共有の範囲や調査・対応の方法等について相談をし、その後の調査・対応を速やかに進めるよう努めている」(広報)というが、男性への対応とは大きく食い違う。
そもそも男性に、退職を強要され、自宅待機を命令されるだけの理由はあったのか。客観的に見れば、直前まで優秀な成績を収めていた行員が一転〝問題人物〟に仕立て上げられたのは、みずほを実効支配する興銀出身の幹部、須見の態度を注意したことが発端だった、としか説明がつかないのだ。
その一方、常務執行役まで上り詰めた須見だけでなく、退職を強要した人事の油井、上司だった長谷川など、関係者の多くが支店長クラスに出世していることにも驚く。さらに戦慄させられるのが、みずほ関係者の次の指摘である。
「15年以降、特に〝排除すべき標的〟とされた行員の粛清が進められました。現在の大リストラの前触れというべき動きを主導したのが、当時人事グループ長だった興銀出身の石井哲副頭取です」
男性の退職強要と自宅謹慎が始まった時期は、石井が人事グループ長を務めた期間(15年4月~17年3月)と重なる。石井は人員整理に続き、新勘定系システム稼働を成し遂げたとして、いまやFG代表執行役専務も兼任し次期トップを窺う。ちなみに、男性に面談を繰り返した小野の人事部での役職は「特命担当」。みずほ銀広報は「労務環境や職場の安全確保のための専門スタッフ」と答えるが、その使命は「標的行員の徹底排除」(別の関係者)に他ならない。しかし当の石井は3月、3度目のシステム障害で、FG社長の坂井辰史に付き従って謝罪会見に臨む羽目に追い込まれた。
そんな喧噪の陰で、男性は懲戒処分で追い詰められている。が、パワハラの実態解明を求める思いに変わりはない。それ故、再検証は行わないとするみずほ側との直接交渉を拒み続けているのだ。
「内部通報すれば、人事が金銭解決や復職を持ちかける。そして、応じないとなると、懲戒処分を出す。こんな銀行をどうして信じることができるでしょうか。あくまで私が知りたいのは、『なぜ私がこのような目に遭わされたのか』という理由なのです。経営陣が問題に向き合って謝罪するまで、折れるつもりはありません」
なお、みずほ銀広報は本誌取材に対し「個人のプライバシーに係る事項」として、認否も含めて回答を控えた。一人の銀行員の人生を狂わせた上、その真相究明にすら向き合おうとしないみずほ。人材を放逐することに血道を上げる組織に未来はない。(敬称略、肩書他は掲載当時のもの)
【2021年5月号掲載、2021年4月30日全文公開】