渡辺の"美女軍団"支配
さらに小誌が取材を進めると、百十四の異様な病巣がわかってきた。その異形を体現する人物こそ渡辺智樹、その人に他ならない。
きっかけは09年、渡辺の頭取就任だった。前号でも少し触れたが、当時、百十四は大阪・九条支店を巡る不正融資事件で金融庁から業務改善命令を受け、体制の抜本的な立て直しを迫られていた。その不祥事を契機に表舞台に登場してきたのが、渡辺だった。
「決定的に行内の雰囲気が悪くなったのが、渡辺時代。渡辺頭取の下で極端にモラルハザードが進行した。それまでは"創業家"の綾田家が力を持っていると言われながらも、役員登用の基準は適正なもので、最終的に誰もが納得できるように人事は行われていた。しかし渡辺が頭取に就任すると、あっという間に自分のお気に入りばかりを取り巻きにした」
百十四関係者はこう説明する。「創業家・綾田家」については後述するが、通常なら、組織を揺るがす不祥事が起きた直後にトップに就任した人物であれば、正常化に尽力するもの。ところが、渡辺にはそうした社会一般の常識はまったく通用しなかったらしい。
事実、渡辺は頭取に就任すると人事を壟断。複数の関係者によれば、これまでの人事慣行を根本から破壊し、各部門の幹部級は自分の息のかかった人物に替えてしまった。当初は問題視する役員もいたものの、渡辺によって多くが粛清された。他方、一般行員は何が起きたのか呑み込めず、ただ呆気にとられるだけだったという。
"悪行"はエスカレートする。その極め付きが、肝煎りセクション「金融業務部」(現在廃止)だ。
「支店長時代も含めて、自分好みの女性行員を手元に異動させていた渡辺は、頭取になると、役員室の近くに自分の"喜び組"みたいな女子行員だけの部署を作った。20代後半から30代前半くらいが中心で、特別に親密な既婚の行員を管理職に据える始末。彼女たちと一緒に昼食をとったり、夜も意見交換と称して懇親会を開いたりしていた」(前出関係者)
これだけでも驚きだが、問題は金融業務部の"裏業務"にある。同部は表向き、金融商品などの販売業務を促進、各支店の営業担当者を指導・訓練するという名目で設置された特別部署。女性活躍推進などと持て囃されたようだが、実態は頭取直轄の組織で、その役割は支店長クラスの人事評価を渡辺に上げることだったという。
「同部の女子行員たちが教育担当の名目で各支店を巡回するが、実は、スパイみたいなことをさせていた。お気に入りの若い女子行員が支店長クラスを陰で評価して直接、渡辺に報告を上げる。食事会は、その情報を得る目的も兼ねていた。結果、女子行員が気に入らない支店長は即異動。人事部案を渡辺がことごとくひっくり返したこともあった」(別の関係者)
渡辺直属の"くノ一軍団"というわけだが、金融業務部の女性行員が間諜であることは当時、行内では周知の事実だった。現場の支店長たちは、同部の女性行員が来ることに戦々恐々だったという。
「創業家2代目」の人事構想
ところで、渡辺が頭取に就任する前の百十四はどうだったのか。渡辺の前任は40年生まれの竹崎克彦。竹崎は04年6月に頭取に就任し、09年6月に渡辺に頭取職を引き継いだ。3期5年目での途中交代だった。当時の事情について別の百十四関係者はこう語る。
「竹崎さんは頭取就任5年目で九条の事件が起き、実質、引責辞任した。事件がなければ、まだ頭取を続投したはず。竹崎さんは修作さんの愛弟子で、後継指名した時は、最低でも6~8年は頭取を務めてくれという思いがあった」
「修作さん」とは、現頭取の裕次郎の実父で第12代頭取(95~04年)、綾田修作のこと。百十四は、裕次郎の祖父に当たる第8代頭取(52~ 75年)の整治から、綾田一族3代が頭取を務める世襲銀行だ。整治は戦後復興期を担った「中興の祖」で、52年の頭取就任時は46歳と全国の銀行頭取の中で最年少だった。03年に98歳で死去するまで相談役を務めている。
前出の関係者によれば、修作は公言こそしなかったものの、慶大卒業後の82年に入行していた次男の裕次郎を頭取にしたいという強い思いがあった。ところが、竹崎が頭取を辞めざるを得なくなった時、59年生まれの裕次郎が後を襲うにはまだ若過ぎた。修作は以前から、3代目に権力を移譲するまでは竹崎に可能な限り頭取職を続けてもらい、それでも時間が必要なら裕次郎の一歩手前で、52年生まれで京都大卒エリートの渡辺が中継ぎをすることも良しとする構想を描いていたという。いずれにせよ、不祥事を受けた渡辺の登板は"番狂わせ"だった。
「修作さんは凡庸だが、人柄は良く、悪く言う人を見たことがない。特に問題がなければ下から上がってきた人事案をそのまま承認するという感じ。逆に、最高裁判所長官を務めた博允氏を弟に持つ竹崎さんは厳格ながらも、経営は公正を旨としていた。九条支店の事件では相当ショックを受けたようだが、歴代頭取の中でも立派な人だったと思う」(百十四OB)
要するに、百十四が築き上げてきた行風は渡辺の頭取就任を境に暗転していったと言える。そのキャラクターは、裕次郎に頭取職を譲る17年4月にも発揮された。百十四ではそれまで、頭取交代時には新頭取と専務2人が代表権を継ぐのが慣例で、会長は代表権を返上するものとされてきた。しかし渡辺は代表権に固執、今回の会長辞任でようやく返上した格好だ。