ナンバーワン“ブランド病院”の失墜
「聖路加国際病院」乗っ取りを図る"立教人脈"
カテゴリ:事件・社会
聖路加国際病院(東京・築地、編集部撮影)
「2012年に日野原重明先生が理事長職を離れ、名誉理事長になり、病院に顔を出す頻度が減ったあたりから、雲行きは怪しくなった」と振り返るのは、〝超一流ブランド病院〟聖路加国際病院(東京・中央区)のベテラン医師。
「そして3年前、生涯現役を標榜する日野原先生が105歳で亡くなると、聖路加内部の混乱が顕在化するようになってしまった」
日野原医師といえば、聖路加を体現するカリスマ。1941年に入職して以降、聖路加の顔として君臨してきた。美智子上皇后の父である故正田英三郎・日清製粉グループ元会長の主治医を務めるなど、皇室との交流も深く、政財界にも幅広い人脈を築いていた。
「日野原先生という絶対的存在があるお陰で、良くも悪くも聖路加はひとつにまとまっていた。ところが、日野原先生が亡くなった途端、糸魚川順・聖路加国際大学理事長を中心とする一派の支配が強まり、一枚岩の体制が崩れていったのです」(ベテラン医師)
露骨なまでの邪魔者扱い
14年、聖路加グループは改組が行われ、病院は組織上、聖路加国際大学(旧聖路加看護大学)の傘下になった。その結果、同大学理事長、同学長、病院院長が聖路加を運営する最重要ポストとなる。この時点で、これら3つのポストのうち、理事長と院長に就いていたのが福井次矢氏だった。
「福井先生は日野原先生と同じ京大出身で、聖路加で研修を受けた。その後、京大教授となった福井先生を04年秋、聖路加に副院長として引っ張ってきたのも日野原先生。半年後には院長に抜擢。いわば秘蔵っ子」(聖路加OB)
福井体制が固まりつつある中で異変が起こるのが16年。聖路加国際大学の理事だった糸魚川順氏が福井氏に代わり理事長に就任。福井体制が徐々に崩されていく。