2020年12月号

“リベラル”はなぜ「自由の制限」に反発しないのか?

【無料公開】倉持麟太郎インタビュー「リベラルへの違和感」

カテゴリ:インタビュー

2012_kuramochi.JPG                  倉持麟太郎氏(編集部撮影)

『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)を上梓するきっかけは、2015年に日本弁護士連合会(日弁連)から安保法制の国会議論における法的な論点整理役の指名を受けた頃にさかのぼります。その年、安倍晋三首相は米連邦議会で「安保法制を通過させる」と演説し、14年には河野克俊統合幕僚長(当時)が米軍に対して「(15年の)夏までに成立させる」と約束している内部資料も出てきました。

 安倍政権の政治信条は、それまでの自民党政権と同様に保守だと思われてきましたが、果たして日本の主権を弱めて従米を加速させる人たちが本当に保守なのかと疑問を持つと同時に、〝リベラル〟と呼ばれる人たちに対しても疑問を持ちました。

 というのも、彼らは政権に対して批判の声を上げるものの、対案を出すこともなく〝綺麗ごと〟に終始し「今回もよく負けたね」と内輪で慰め合っているように映るからです。こうした〝リベラル〟の行動準則は共謀罪の成立時も変わりませんでした。

「安倍一強」は野党のアシスト

 彼らは綺麗ごとばかり言っているのかというと、最近はそれすらも言っていない。

 新型コロナ禍での緊急事態宣言や、小池百合子東京都知事の「不要不急の外出自粛要請」などというまったく法的根拠がないものに対し、〝リベラル〟からは抗議の声が一切上がりませんでした。新型コロナに対する偏見、正義感を振りかざす「自粛警察」が出てきたりして、相互監視と同調圧力によって市民社会がどんどん萎縮したにもかからず、「自由を確保するために議論しよう」などという意見も〝リベラル〟からは出てきませんでした。

 私は本来、国家と個人という縦の関係は不信と監視であり、市民同士の横の関係は連帯、寛容、信頼が基礎にあるべきだと思います。しかし、今の日本は縦の関係を信頼し、市民間は監視し合う逆転した社会になっている。そんな社会に対して、「息苦しい」と指摘しないことにショックを受けました。

 また、〝リベラル〟は「人権は普遍的である」と言い続けてきたにもかかわらず、隣国の香港の民主化デモに対しても手を差し伸べようという声が出てこない。そこを指摘すると、「まず日本の困っている人を助けるべきだ」と言う〝リベラル〟も出てくる。国内でも国外でも両方助けようとすればいいのに。つまり、この国には〝リベラル〟自体が存在しないのだという思いを強くしました。

 成熟した国家では、本来なら権力はひとつであり、与野党でそれを取り合うもののはずです。ところが、今の日本は政権という権力の他に「野党権力」ができており、この権力を維持しようという推進力があまりに強い。そのためずっと政権交代が起こらない。

 いざ選挙になれば「野党共闘」と口では言うけれど、立憲民主党の合流騒ぎを見ても分かるように、本来は無党派層を取りにいかなければならないのに、立憲民主の支持率5%+国民民主1%を取ろうとする。

 結局、彼らにとって日本の立憲主義はどうでもいいことであって、目の前の100議席を取ってビジネスとして食えればいいだけ。つまり「全力で2位」を狙っている人たちというわけです。安倍政権が「一強多弱」と言われたのは、安倍支持者の応援のみならず、〝リベラル〟が自分たちのビジネス(稼業)に躍起になり、弱体化することで、裏からアシストし続けたせいでもあります。

世代交代できない合流新党

 日本学術会議問題も典型的です。同問題はまず「なぜあの6名の研究者を外したのか」という政治的な問題があり、次に、首相は「形式的任命」であって拒否権があるのかないのかという法律的な問題があります。さらに、これが違法だとしても、6名を再任する訴訟はできない。つまり制度的に担保されてないという問題。そもそも学術会議は政府の諮問機関で、内部からの推薦方式で委員が選ばれるため、学者たち全員に一票があるわけではないという学術会議そのものの問題もあります。

 個々それぞれに分けて議論すべき問題であるにもかかわらず、〝リベラル〟はすべて一緒くたにして、「反菅」という言説しか正解はないと、建設的な議論がまったくできていない状態です。

 恐らく、〝リベラル〟は「安倍ロス」によるフラストレーションが溜まっているのではないでしょうか。安倍路線の「継承」を掲げる菅首相に対して、日本学術会議問題は安倍批判の延長線上であることを確認する機会になったと思います。

 一番の問題は、現時点で日本国民が政権交代を望んでいないということです。確かに、安倍政権によって人事と公認による統制が横行し、自民党内の多様性はかなり収縮しましたが、それでも党内での議論自体は一応はなされている。一方、野党は「議論はダメ」「『与党に反対』しかダメ」のようになっている。

 今の政治を変えていくとすれば、自民党が割れるか、世代交代を進めるしかありません。しかし、合流新党の役員の顔ぶれを見ると、枝野幸男代表による「絶対に世代交代しないぞ」という明確な意思表示のように思います。正直、そんな野党には何の期待感もありませんが、日本が与野党ともに自由や人権、法の支配にコミットしない方向にどんどん振り切り始めていることに危機感を抱いています。

 本書では、リベラルと個人の関係について、日常的な個人のネットのクリックによって好みの情報ばかり表示されるようになり、知らないうちに自己が規定され、自分が変わるきっかけを失うといった話なども掲載しています。

 我々一人ひとりが、もっと自分の頭で考えて、自分で判断しなければ市民社会は成立しません。なんとなく「この意見が多数派なんだろう」と思い込まず、いろいろな視点でものを疑い、自分の頭で考える。本書にはそのためのヒントを散りばめたつもりです。

〝リベラル〟には耳の痛い本かも知れませんが、私と同世代の30代後半~40代前半の法律家、ジャーナリストたちからは好意的に受け止めてもらっています。〝ジャマおじ〟、即ち批判してばかりで若い世代のジャマばかりするおじさんを駆逐する一石にもしたいと思っています。

くらもち・りんたろう―1983年生まれ。慶応大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了 。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。日弁連憲法問題対策本部幹事、弁護士法人Next代表弁護士。一般企業法務の傍ら、東京MXテレビ「モーニングCROSS」レギュラーコメンテーター、慶応大学法科大学院非常勤講師(憲法)など、多方面で活動。共著書に『2015年安保 国会の内と外で』、『時代の正体2』、『ゴー宣憲法道場』など。

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