ZAITEN2021年09月号
“ゆるキャラ”で上り詰めた「おんな太閤記」――
【女性社外取特集】大田弘子「大臣経験」が金看板の"旧・社外取の女王"
カテゴリ:企業・経済
シンデレラストーリーでこの人の右に出る女性はなかなか見当たらないだろう。政策研究大学院大学特別教授の大田弘子(67)である。鹿児島の片田舎のフリーターから大臣まで権力の階段を駆け上がり、不祥事に揺れたみずほフィナンシャルグループ(FG)では「目玉人事」として取締役会議長に抜擢された。現在はパナソニックなどの社外取締役を務める。この見事な"人生すごろく"を形づくったのが、独特なキャラクターに裏打ちされた大田流の処世術である。
牛尾治朗が大臣就任を説得
4月27日、鹿児島市の中心部で東京五輪・パラリンピックの聖火リレーが実施された。大久保利通像の眼下の目抜き通りで、走者の一人として登場したのが、他ならぬ大田、その人である。この日は生憎の荒天となったが、大田は満面の笑顔で沿道の観客に手を振りながら数分間走ると、次の走者に聖火を手渡した。鹿児島出身の大田にとって、故郷に錦を飾った格好ともいえる。
もっとも、聖火リレーのランナーなどは、大田が立ち続けてきた晴れ舞台の前では霞む1コマかもしれない。大田の人生はまさに「おんな太閤記」を地でいく立身出世のエピソードに事欠かない。
1954年生まれの大田は地元の鶴丸高校から一橋大学社会学部に進学。もともとはジャーナリスト志望だったが、当時女性の採用枠はほとんどなく、大学卒業後の76年に宝飾品のミキモトに入社した。ミキモトをわずか2年で退社した後は、鹿児島に戻った。「失業保険を受け取りながらフリーターをしていた」。メディアなどに大田自身がたびたび当時をこう振り返っている。
燻っていた大田に最初に手を差し伸べた人物が、当時経済企画庁長官だった高原須美子(故人)である。鹿児島を訪れた高原に同じ一橋出身をアピールして強引に面会を申し入れて知遇を得ると、この高原の後押しで、81年に財団法人生命保険文化センターの特別嘱託研究員に収まる。この研究員時代に出会ったのが、のちに小泉政権で構造改革を推し進める元大阪大学教授の本間正明である。
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