ZAITEN2021年12月号
「旧興銀支配」を招いた元長官
【金融庁特集】みずほ「メガ転落」に金融庁の十字架
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度重なるシステム障害で「メガバンク脱落」が決定的となり、事実上、当局管理下の経営体制に置かれたみずほフィナンシャルグループ(FG)。立ち入り検査を続行中の金融庁は「今のシステム管理やガバナンス体制にとどまらず、1999年に旧3行が経営統合を決めてから連綿と培われてきた組織風土やガバナンスの欠陥を洗い出し、膿を出し切る」(監督局筋)と意気込んでいる。
だが、決済や為替など、銀行として当前の業務さえまともにできない「異形のメガバンク」を生んだ責任は金融庁自身にある。統合後も旧3行の内紛が絶えなかったみずほの統制に手を焼いた歴代長官らが、気位ばかり高く、リテールや中小企業取引を軽視する旧日本興業銀行勢に経営の主導権を委ねた結果が「みずほをこれほどの惨状に陥れた」(元役員)と言えるからだ。
金融庁はそんな自らの大罪には頬被りしたまま、みずほ首脳陣らに詰め腹を切らせて事を済ませ、金融行政の失策を糊塗しようと目論んでいるようだが、ご都合主義の誹りは免れない。
みずほの面会要請を拒否
「そろそろ会わせてやるか」
9月下旬、金融庁長官の中島淳一(85年旧大蔵省)の側近スタッフはこう嘯いて、みずほFG社長の坂井辰史(84年旧興銀)との面会を取り次いだという。坂井は中島が長官に就任した7月以降、再三、面会のアポイントを申し入れてきたが、金融庁側は「梨の礫」(FG関係者)だった。東大工学部計数工学科卒で「初の理系長官」となった中島自身は、地味な人柄に因んで「ジミー」と庁内で綽名されるほど大人しい人物。「面会拒否」も中島本人の意向というよりは、監督局長の栗田照久(87年旧大蔵省)ら対みずほ強硬派官僚の入れ知恵だったという。
曰く、今年2月以降、金融システム不安につながりかねない重大なトラブルを立て続けに起こしながら、「腹を割って話せば許してもらえる」などと当局を舐めたような態度を示していた坂井らみずほ首脳陣に「金融庁の怒りの大きさを態度をもって示す必要がある」(栗田周辺筋)と考えたためだとされる。関係筋によると、ようやく実現した中島と坂井の面会も「実のある遣り取りはまったくなく、落としどころを探る雰囲気は皆無だった」という。
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