ZAITEN2022年2月号
佐藤会長、坂井社長、藤原頭取ら辞任……そして誰もいなくなる
【みずほ特集】「旧興銀支配10年」の成れの果て
カテゴリ:企業・経済
坂井辰史社長(写真は公式サイトより)
「商業銀行業務なんて誰でもやれる」「カネや人手をかけなくてもシステムは正常に動いて当たり前だ」......。かつての国策銀行出身トップのそんな思い上がりや勘違いが総資産220兆円超のメガバンクを崩壊の淵に追い込んだ。
傘下のみずほ銀行(BK)が2021年に8度もシステム障害を繰り返したみずほフィナンシャルグループ(FG)は、金融庁から「経営不在」を指弾する業務改善命令を食らい、予想通り、社長の坂井辰史(1984年旧日本興業銀行)以下3首脳が一斉退陣する事態となった。深刻なのは坂井の前任で旧3行間の権力闘争を制した現会長の佐藤康博(76年旧興銀)が11年にグループトップに就いて以来、約10年にわたる旧興銀支配の経営が続いた結果、有力な人材が払底し、次期トップすら決められないことだ。
22年4月1日付で辞任する意向を表明した坂井は「できるところまでしっかり(経営や風土改革を)やった上で、(後任に)バトンを渡すのが一番いい」と嘯くが、"死に体"トップがなお3カ月も居座ることで組織の劣化が進むのは必定で、社員の士気は下がるばかりだ。年末年始も返上で顧客へのお詫び行脚に回るというBKの現場からは「このままでは組織がもたない」との悲鳴すら上がる。
システム障害、店舗統廃合...リテールを蔑む坂井ら経営陣
無能な経営陣を戴いた結果、銀行として当然取り組むべき使命を全く果たせなかった――。金融庁が11月26日にみずほに発動した業務改善命令を一言で要約すれば、こうなる。坂井やCIO(最高情報責任者)であるFG専務執行役の石井哲(86年旧興銀)は19年7月に本格稼働した銀行基幹システム「MINORI(ミノリ)」について運用実態を全く把握しようとしなかったばかりか、トラブルが起きた際のリスク管理体制も整えていなかった。実際、2月末に起きたキャッシュカードや通帳がATMに吸い込まれるトラブルでは、「顧客に故障を通知する文書を誰が書くのか」といった初歩的な業務をはじめ、文書の社内決済の手続きさえ決まっていなかった。経営陣のサボタージュが被害に遭った顧客をATM前で最大6時間も立ち往生させる事態を招いたのだ。
もともと人事・企画畑でシステム門外漢の石井はCIO就任後も現場がシステムの稼働状況などの報告を上げても「自分は詳しくないが、上手くやれ」と言うばかりで、「システムは正常に動いて当然と言わんばかりだった」(BK担当筋)。
一方で、中期経営計画(19~24年度)で掲げた業績目標達成を焦ってか、数字を挙げて過酷なコストカットを押し付けてきたという。 99年の旧興銀、旧富士銀行、旧第一勧業銀行による統合合意以来、旧3行間の内紛に明け暮れてきたみずほ。MINORIの開発もその呪縛の例外ではなく、日立製作所、日本IBM、富士通という旧3行それぞれに紐づいたベンダー3社が並立し、そのまとめ役として新たにNTTデータを加えるという本末転倒の設計体制の下で「複雑怪奇なシステムが出来上がった」(FG幹部)。旧3行合併当日の02年4月と、東日本大震災直後の11年3月の2度も大規模なシステム障害を起こしたことも考え合わせれば、「開発だけでなく、本格稼働後の運用にも人員やコストをかけて細心の注意を払う必要があった」(元役員)。にもかかわらず、坂井はそんな意見を顧みず、19年7月の本格稼働を機にシステム部門を〝金食い虫〟と見て経費削減の標的とした。
メーカーの保証期限切れ間近の機器なども交換されずに使い続けられ、障害発生の一因となったのはそのためだ。金融庁によると、取締役会でもシステム障害のリスクについて議論していた形跡は全くなかったという。業務改善命令で「(経営陣が)システム運用の実態を把握しておらず、適切な指示を行えない」「リスク管理態勢を整備していない」と酷評されたのも当然だろう。
......続きはZAITEN2月号で。