ZAITEN2022年04月号
スペシャルインタビュー
野口悠紀雄「日本を『円安』で蝕んだ無能政権とマスコミ」
カテゴリ:インタビュー
野口悠紀雄氏(写真は公式HPより)
日本は確実に貧しくなっています。国民1人当たりのGDPで見ると、日本は2000年には世界第2位でしたが、20年には24位まで落ちました。これはOECD加盟国の平均と同程度です。いまだに日本は韓国よりも経済的に上と思い込んでいる日本人は多いのですが、数年後には韓国はおろか台湾にも抜かれると見られます。
実際、すでに韓国は様々な国際競争力ランキングで日本より上位に位置していますし、13年からのアベノミクスの7年の間には、年間平均賃金でも追い抜かれました。今や日本の賃金水準はOECDの中でも最下位クラスです。それにもかかわらず、この状況の深刻さを理解している人は極めて少ないのが問題です。
そもそも、アベノミクスでは「3本の矢」と言われましたが、実際に行われたのは大幅な金融緩和であり、円安が顕著に進行しました。その結果、日本経済の衰退が決定的なところにまで来てしまったと私は考えています。
ただし、円安を志向する政策は何もアベノミクスが最初だったわけではありません。金融危機が起きた1990年代の後半から行われ、特に00年代初めには為替市場への顕著な介入を実施。民主党政権時代の10年頃も円安への誘導が試みられました。第2次安倍政権は、それらの円安政策を引き継いだというだけで、新しいことを始めたわけではありません。 アベノミクスの7年間で日本経済が悪化したのは事実ですが、問題の本質は、その事態に至るまで30年続いた日本政府の円安政策そのものにあると私は考えます。
円安は〝麻薬〟である
ではなぜ日本で円安政策がとられたのか。日本経済にどのような影響を与えてきたか。これは長いスパンで振り返る必要があるでしょう。
まず、最大の原因は80年代に起こった世界経済の大規模な変化です。中国が工業化に成功し、低賃金による安い輸出品の大量生産が始まりました。これによって、世界の先進国の製造業は多大な影響を受けたわけですが、特に影響が大きかったのが日本です。それは90年代後半にはっきりとした形で表れます。製鉄や造船など、日本の高度成長を支えてきた基幹産業が立ち行かなくなったのです。
そこで政府がとった対応が、円安政策でした。そもそも円安とは「日本国内の賃金をドルで見て安くする」ということです。これは低賃金での生産を意味します。つまり、日本政府は価格面で競争する道を選びました。
しかし、当り前のことですが、価格競争で中国に勝てるわけがありませんでした。この時、本当に必要とされていたのは、質的な競争力の向上でした。
......続きはZAITEN1月号で。
◆プロフィール◆
のぐち・ゆきお――1940年生まれ。東京大学工学部卒業。1964年、大蔵省入省。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、一橋大学名誉教授。