ZAITEN2023年09月号
【対談】佐高信の賛否両論
佐高信 vs. 木村三浩「世襲政治が統一教会に付け入る隙を与える」
カテゴリ:インタビュー
きむら・みつひろ―1956年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科に学ぶ。一水会書記長を経て、2000年より一水会代表。月刊『レコンキスタ』発行人。三田文学会、日本ペンクラブ会員。著書に『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』(鹿砦社)など多数。
佐高 鈴木邦男が亡くなって半年経ちましたね。亡くなった人っていうのは、お酒みたいに後から利いてきますね。
木村 1月に亡くなられて、その後、3月にお別れ会をしました。『月刊レコンキスタ』の発行もやっていかないといけないので、ばたばたしていました。だから今はまだやることが多いし、1年ぐらい経つとやっぱり喪失感っていうのはもっと大きくなると思っています。 この間も『月刊TIMES』が「鈴木さんの遺志をいつまでも」という企画で椎野礼仁さんからインタビューを受けました。また、いろいろと「鈴木さんを偲ばれて、どういう人でしたか?」というインタビューが結構多いから亡くなった実感はあるのですが、心に穴が空いた感じというのは、1年ぐらいたってからかなと思いますね。
佐高 改めて鈴木さんの本を色々読んでいて、赤尾敏さんに会うたびに怒られていたというエピソードをもう少し話したかったなと思いました。
木村 そうそう。鈴木さんも怒られていましたけど、私も怒られましたよ。最初は赤尾先生に愛国党の本部なんかを訪ねるといろいろなことを教えてもらったり、数寄屋橋でお会いしたりすると、若かったので数千円の小遣いをもらったりしました。
佐高 赤貧の感じの人でしたね。
木村 赤貧ですよね。でも財布を取り出して、指を舌につけ、「これでうまいうどんでも食べなさいよ」って。ところが、1981年の9月頃、北方領土の返還運動の大会があって、九段会館で会いました。すると公安が「一水会が来ましたよ」と言ったら、赤尾先生が「何、一水会?」とか、「容共野郎」と言ってステッキを振り回して怒られましたよ。その2、3年前は北方領土の問題で「頑張ってくれ」と激励されたのですが、もう一水会ってだけで条件反射のように怒られましたね。
佐高 赤尾さんの言い分はつまり、アメリカは世界の共産化を防いでくれている国なんだということで、そこに反対するとはけしからんっていうことでしょうね。しかし、今一つ分からないのは、アメリカは原爆落とした国だという意識が赤尾さんの中にはないということです。赤尾さんは戦争中、国会議員でしたよね。
木村 はい。赤尾先生はアメリカなんかは利用すればいいという活用論なんですよ。
佐高 なるほど。
......続きはZAITEN9月号で。