ZAITEN2023年12月号
権力闘争と怨嗟の声渦巻く「日本医師会」の闇
【特集1】医療現場のガンと化す「日本医師会」と「厚労省」
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2022年6月16日。その2年前、日本医師会(日医)の会長に就任した中川俊男は、日本記者クラブで会見に臨んでいた。
10日後に開かれる2年ごとの役員選挙で2期目を迎えるはずだったが、身内の〝裏切り〟に遭い、出馬を見送ったばかりだった。
この会見の招待者には、色紙の綴りに一筆書いてもらうのがしきたりのようだ。会見後、司会者が中川会長の色紙を披露した。
そこには、1文字だけ、「義」と書かれていた。
日医は役員選挙のたびに激しい権力闘争を繰り広げ、そこで生まれた遺恨によって組織は分断されてきた。不毛な闘いによって、国民の信さえ失っている。中川会長が書いた「義」は、そんな組織への強烈な皮肉が込められている。
日本の皆保険制度を守り、医療を支えてきた日医の功績は大きい。だが、その日医が実は国民のための医療を歪めてきた事実は、あまり語られていない。その根っこにあるのが権力闘争であることに、多くの日医幹部は気づいていないところに悲劇はある。
会長自らカルテ開示阻止
時代を遡れば、日医が国民のための医療政策を妨げてきた例はいくつもある。今では当たり前のように開示されるカルテだが、開示義務を盛り込んだ法制化に反対したのも日医だった。
医療過誤が頻発した1990年代、患者側にカルテが開示されることはほとんどなかった。訴えようにも、手がかりさえ得られない。97年、当時の厚生省が立ち上がり、カルテ開示の法制化を模索する検討会を設けた。だが、日医会長だった故・坪井栄孝から横槍が入る。
検討会の座長と厚生省の局長が、坪井から都内のホテルの1室に呼び出され、釘を刺された。 「法制化ではなく、医師会としてカルテ開示を進めるためのガイドラインを作るから任せてほしい」
それから間もなく、坪井は法制化を阻止するための先手を打った。カルテ開示について「原則として応じる」との指針を公表したのだ。法制化の議論は急速にしぼみ、最終的には見送られた。
......続きはZAITEN12月号で。