ZAITEN2024年08月号
【対談】佐高信の賛否両論
佐高信 vs. 小島敏郎「小池百合子の〝経歴詐称〟を野放しにしたマスコミの大罪」
カテゴリ:インタビュー
こじま・としろう 1949年、岐阜県多治見市生まれ。元都民ファーストの会事務総長・弁護士。72年、東京大学法学部卒業。環境庁入庁。2005年、次官級ポストである地球環境審議官に就任。08年7月環境省退官。
佐高:元環境庁企画調整局局長の山内豊徳さん(1990年の水俣病認定訴訟での国側の担当者)のことはご存知ですか。
小島:よく知っています。私が環境庁広報室長の時に自殺され、山内さんのお宅にお悔やみを申し上げに伺いました。第2次海部俊樹内閣の環境庁長官だった北川石松さんが水俣へ行くという時、その準備を私もやっていたのですが、山内さんが自殺したということで環境庁内は大騒ぎでした。しかし、お宅に誰も行こうとしない。誰か行かないといけないので、私が東京・町田の山内さんのご自宅へ行きました。「環境庁から来た広報室長の小島です」と言っても家に上げてくれないので、玄関にずっと立っていました。中からは「帰ってもらえ」と声が聞こえ、「誰も行きたがらないのはそういうことなんだ」と理解しました。玄関でお悔やみだけ伝え、帰りました。
佐高:山内さんの葬儀で弔辞を読んだ伊藤正孝さんという記者に頼まれて、『官僚たちの志と死』を1996年に書きました。いろんな人が「山内さんは立派な人だった」と言っていました。
小島:私も立派な人だったと思っています。
佐高:環境庁は小島さんが大学を卒業した当時はまだ新しい省庁でしたよね。小島さんは明確な理由があって環境庁へ行ったのですか。
小島:役人になるなら環境庁と考えていました。2年生の時に本郷のキャンパスに機動隊が入ったので、すぐ授業がなくなりました。東大安田講堂事件(全学共闘会議と新左翼の学生が東京都文京区の東大本郷キャンパスにある講堂を占拠した事件)などのごたごたがあり、大学には6年いました。
弁護士になるつもりで司法試験の勉強をしていたので、企業に就職するつもりはなかったのですが、「司法試験も必ず受かるものじゃない」と言われ、就活をしようという気になりました。しかし、その時は、青田買いで面接を受け付ける企業はもう電電公社ぐらいしかなかったので、電電公社に行ったら、大学の先輩が出てきて、司法試験の試験科目と公務員試験はほとんど同じだから、公務員試験も受けておいたらと勧められ、公務員試験も受けることにしました。
佐高:成績が優秀な人は大蔵省を目指すイメージがあります。山内さんの成績は2番と聞きました。 小島:何番かは本人しか知らないと思いますが、いい成績だったことは確かです。私もそうですが、成績だけで大蔵省を志望する人はいないと思います。ただ、厚生省は明確にやりたいことがあって入る人が多いのも事実ですし、当時の環境庁の志望者もそうです。役所は基本的に環境庁しか考えていなかったので、採用されなければ弁護士になればいいと思っていました。
佐高:山内さんの遺稿集として『福祉の国のアリス』が出版されますが、これを橋本龍太郎元首相が読んで、山内さんの奥さんに手紙を送ったそうです。奥さんにその手紙を見せてもらったのですが、それがすごくいい手紙でした。文中に「すばらしい男でした」とあり、私はそれを引用させてもらおうと思って、無断では駄目ですから橋本さんに手紙を書きました。すると、私の事務所に電話をよこして、「悪く書くんじゃないでしょうね」と言われたので、「いや、違います」と否定したら、橋本さんは「山内さんは、すばらしい男でした」と2回言いました。
小島:橋本さんは厚生族でしたから、山内さんのことをよくご存知だったのだと思います。橋本さんは、話をすると最初は「そんなことはない」とか「間違っている」と言います。絶対に「うん、いいね」とその場で言わない方でした。
......続きはZAITEN8月号で。