ZAITEN2025年01月号
政局不安によって軋む〝政治とのパイプ〟
自民党大敗で〝戦々恐々〟の「日本医師会」
カテゴリ:政治・国際
2024年11月10日、北海道医師会創立77周年を記念する式典が、札幌グランドホテルで開かれていた。
北海道医師会出身で前の日本医師会(日医)会長である中川俊男の隣の席には、日医の現会長である松本吉郎が座っていた。
先の衆議院選挙で自民・公明の与党が過半数割れして政権基盤が大きく揺らいでいることが話題になったとき、日医の松本会長が、次のようにぼやいたのを中川は覚えている。 「やりにくくなりましたよ」
中川は言葉に出しはしなかったが、「ぼくが会長でも不安になる」と思った。
今回の衆院選で、自民は大敗しただけでなく、医療に理解のある多くの〝族議員〟が落選の憂き目に遭っている。自民の元厚生労働省副大臣で、かつて〝厚労族のドン〟と呼ばれた橋本龍太郎元首相を父に持つ橋本岳や、同じく元厚労副大臣の牧原秀樹、元政務官で参院厚労委員長の経験もある丸川珠代、元政務官の高鳥修一などが逆風に晒されて落選した。
とくに若手世代の橋本、丸川両氏は将来の族議員を引っ張っていく存在と目されていたため、日医には大きな打撃となる。
医療に理解のある議員を頼りにロビー活動を続けてきた日医にとって、自分たちの意を汲んで働いてくれる自民議員は貴重な存在だ。こういった族議員をひとりでも多く抱えて官邸への圧力を強めることが、医師の権益を守ることにつながっていくからだ。
自民議員とのパイプが、ときにドラスティックな〝効果〟を生むシーンは、以前から連綿と続いている。
寝技、力技の歴史
いまから20年近く前の05年6月のこと。当時、大阪府医師会から日医会長の座を射止めた植松治雄は、小泉純一郎内閣(当時)の構造改革路線に手こずっていた。小泉氏の肝煎りである「骨太の方針2005」の素案に「伸び率管理」が盛り込まれた。名目GDPの成長率に医療費の伸びを連動させて医療費抑制を企図した新たな取り組みだ。
......続きはZAITEN1月号で。