ZAITEN2025年03月号

〝偉人でも〟生きていくために恥を忍んで副業に勤しむ

【著者インタビュー】『偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり』

カテゴリ:インタビュー

偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり
左右社/1980円(税込)

くりした・なおや―1980年生まれ、東京都出身。経済記者、批評家。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科経営学専攻修了。経済記者のかたわら、書評サイト「HONZ」や週刊誌、月刊誌などでレビューを執筆。書籍構成も手がける。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)『政治家の酒癖 世界を動かしてきた酒飲みたち』(平凡社新書)など。

―「なりふり構うな。稼げ!」という帯が印象的です。


 今、「人生100年時代」といわれるように長寿化が進んでいます。本来、長寿は喜ばしいことですが、不安でたまらない人がほとんどではないでしょうか。現代はおカネがないと生きていけないからです。つまり、私たちはこれまでよりカネが必要な期間は長くなりそうなのに、国も会社も頼りにできない社会に生きています。  

 ただ、「不安だ」「不遇だ」と叫んでいるだけでは何も解決しません。日本人は「こうしなければいけない」という固定観念に縛られがちです。固定観念さえ捨てれば、稼ぎ方はいろいろあるはずなのに、それができない。原因の多くは気持ちの問題です。プライドや世間体が邪魔するケースが大半で、そんなものは捨てなければならない。

 実際、歴史をたどれば誰もが知る偉人ですら、注目を集めるまではいくつもの職を転々としたり副業したり、ときには脛をかじったり、おカネがある人に泣きついたりして生き延びてきました。まさに〝なりふり構わず〟稼いでいたのです。私も含めた多くの人がプライドを捨てられないのはおかしな話であり、その姿勢を学ぼうというのが本書のテーマです。

―副題が「副業、転職、財テク、おねだり」となっています。

 いつの時代も稼ぎ方はこの4つが王道です。副業のつもりが本業になったり、本業のかたわら副業で生活基盤を安定させたりするのは今も昔も同じです。転職は、昔は誰かに紹介してもらうしかありませんでした。現在は仲介会社が多くありますが、転職する際に最も強いのは誰かのコネであることは変わりません。

 芥川龍之介は誰もが知る作家ですが、コネで転職を試みたひとりです。彼は大学在学中から名が知られていましたが、当時の出版事情では筆一本では食っていけないので海軍機関学校に就職します。待遇は悪くなかったのですが、出勤が義務付けられていて、通うのがつらくなって転職を決意します。そこで、大阪毎日新聞に「年に決まった回数を寄稿するので固定給をくれ」と泣きつきます。これは別に悪いことではありませんが、彼は同時に慶応大学にも「そちらでどうしても働きたいから雇ってくれ」と友人を通じて頼みます。結局、大毎と契約して、慶応を紹介してくれた友人には謝罪します。公募採用ならともかく、人づてに頼み込みながら、二股をかけて断ったのです。

 その上、芥川は大毎との契約内容を全く履行せずに他社の原稿ばかり書きまくります。当然、大毎の編集部は激怒し、芥川は大阪まで謝りに行きます。「ひどい奴」といってしまえばそれまでですが、仕事を得るにはこのくらい狡猾でもいいというエピソードともいえるでしょう。  作家では江戸川乱歩も仕事を転々として、困ると人に頼んで職に就いていました。「何度も人に頼むなんて格好悪い」という気持ちも大切ですが、最近の人は私も含めて人の目を気にし過ぎているのではとも気づかせてくれます。

―人に頼る究極が「おねだり」ですか。


 おカネはあるところから引っ張ってくればいいという発想が「おねだり」です。  たとえば、思想家のカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの関係です。2人は良きパートナーとして後世に名を残していますが、マルクスの家計はエンゲルスが支え続けました。エンゲルスが執筆活動を続けるマルクスに毎月仕送りしていたのです。「理想の実現のため」といえば格好良く聞こえるかもしれませんが、マルスクはそのカネで高いワインを飲んだり、バカンスに行ったり。おまけに、カネがなくなると「ちょっと送って」とエンゲルスに手紙を書いていました。その上、自分が原稿を書くのが面倒くさくなると、エンゲルスに丸投げしていました。これも「ひどい話」だと切り捨ててしまえばそれまでなのですが、人間は本当に理解してくれる人がひとりでもいれば生きていけるのです。本当の支援者をみつければ暮らせるわけです。

 日本では戦前の翻訳家でエッセイストの辻潤も「おねだり」の人でした。彼は女性活動家の伊藤野枝の元夫でもあります。太宰治も敬愛した物書きでしたが、戦時体制下に白いものを白、黒いものを黒と言い続け、仕事がなくなります。そこで、どうしたかというと、ファンの家を渡り歩き、深夜に知人の家に上がり込みました。いろんな食い方があるわけです。

―「こうあるべきだ」と考えなければ選択肢はいくつもあるわけですね。

 もちろん、失敗もありますよ。水木しげるは世に出る前にアパート経営を試みたもののうまくいきませんでしたし、力道山はゴルフ場開発に乗り出した途中で死んでしまったため、残った人たちは莫大な負債を抱えました。ただ、今は当時と違い右肩上がりの経済は期待できません。悲しいかな、私たちは自分の頭で考えて行動する道しか残されていません。 「小さな一歩を踏み出す」。現代ではそんな姿勢が求められているのではないでしょうか。ちょっとずつでも試してみることで、何かが花開くかもしれないことを偉人の職業人生は教えてくれます。

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