1月21日、東洋大学構内に「竹中平蔵による授業反対!」という立て看板を設置し、竹中平蔵、及び大学に疑義を唱えるビラを配った東洋大学文学部哲学科4年(当時)の船橋秀人。しかし、ものの10分で大学職員に連行され、2時間半に及ぶ事情聴取を受けた。そこでは退学を示唆するような圧力を加えられたという。行動を起こした経緯といきさつ、また竹中平蔵、および東洋大学に対する思いを聞いた―。
竹中平蔵は小泉純一郎政権下で新自由主義的な構造改革を推し進めた張本人です。労働者派遣法改正で非正規雇用は増加し、若者の生活はより厳しくなりました。その張本人がインタビューでぬけぬけと「若者には貧しくなる自由がある」などと嘯き、自らはちゃっかり人材派遣会社会長に収まっている。ただ己の私腹を肥やすため、利益誘導のように見えます。
竹中は僕が2年生の時に赴任してきましたが、心の中にはずっと竹中と竹中を招聘した大学に対する不信感がありました。立て看の設置は「こんな現状でいいのか?」と広く疑義を呈する手段のひとつとして行ったものです。
2015年の安保法制の時、国会前は「SEALDs」などの反対運動で盛り上がっていました。僕も国会前に行っていましたが、向いている方向は彼らと同じはずなのに「なんかこの方法は違うなぁ」と思っていました。やはり、自分が今いる場所で戦わなければならないと思ったのです。
賛同は得られないので結局は1人でした。よく誤解されますが、今回の行動は全て自分ひとりで計画・実行したもので、いかなる団体や組織とも関わりはありません。それがかえって強い意味を持ったのかなと思います。
休みがちな竹中平蔵
僕は竹中の授業を受けたことはありません。「じゃ、なんで批判できるんだ」と言われることもありますが、僕は大学組織の問題を追及したかった。そして基本的に竹中は休講が多い。学生からも「授業に来ない」という不満の声を多く聞きます。竹中はなぜかずっと海外にいる。「節税対策では」なんて言う人もいるくらいです。授業をしない教授は迷惑以外の何物でもありません。きちんと授業を開いて自分の主張を堂々と啓蒙するのが筋でしょう。
昔なら「今日は休講」で、学生が喜ぶみたいな感じだったかも知れませんが、昔と違い、今は教授が授業を休むことは手続きがとても大変なはず。でも、大学はそんな竹中を特権的に見逃している。
僕を尋問した大学職員からも、竹中を恐れ、忖度していることがひしひしと感じられました。特にSNSでの発信が相当怖かったらしく、ツイッターの削除を強硬に求められました。大真面目に恫喝してくる職員の様子を見て「今の大学ではあり得ない事態が起きているな」と改めて感じました。数人の職員は30〜40代でしたが、彼らはただ権力に従い、自分の仕事をやるだけというスタンスなんでしょう。「構内に立て看を置いてビラを配っただけで退学処分」自分と彼らとの常識の乖離がここまで開いているのかと呆れて笑ってしまいました。
それは職員のみならず、教授にも言えます。何人かの教授から僕の行動に対する称賛の声はあったものの、ほぼ及び腰でした。
一番驚いたのは、ある哲学科の教授。授業ではずっと竹中批判をしていて尊敬していたんですが、協力を要請したら「いや〝上〞の方針で動けないんだ」と。びっくりしましたね。「サラリーマンかよ!」と。「組織に埋もれるな」なんて言っていた張本人が、実は一番組織に埋もれている。見損ないました。それで分かったことは「大人は当てにならない」ということ。だから若い人に期待したいですが、その若者は牙を抜かれているどころか、そもそも牙がない。そうした仕組みを進めてきた代表格こそ竹中です。
いまの時代は「個」があまりにもありません。自分がどう考え、どう行動するのかという哲学がない。ただ流されるだけの、見せかけの個人主義。「自分さえ良ければいい」は本当の個人主義ではありません。本当の「個」の中には自分の幸福と社会の幸福が一致することを求める規則性のようなものがあります。ルールを守ることは確かに大事ですが、それ以上に大事なものがある。
バカ製造機と化した大学
集団的自衛権にしろ「これが法律的に正しいか否か」という問いの立て方になっていて、歴代政権はこれまでどう動いてきたか、といった歴史的視点が全くありません。しかし、そこにメスを入れなければ何も変わらない。今のルール、今の大人、今の学校の先生の言葉だけを前提にしても意味がないのに、そういう人間の典型が「とにかく竹中平蔵先生の悪口を言うな」という大学職員です。
福島ではメルトダウンしているのに「それよりオリンピックやろう」なんて、常人の感覚じゃない。みんな感覚がバカになっているんです。そのバカを作っている最たるものが、悲しいかな大学になっている。カタカナ横文字の目先のカネ儲けに特化した学部をばんばん作っている。文学や芸術、哲学、人間に一番大事なそういうことを学ぶのが大学だったはずなのに、いまはそうした学部がどんどん排除され「産学連携」みたいなことばかり推し進められている。学生も自ら「キャリアアップ」「即戦力」なんて言って、大人に媚びを売っている。「即戦力」なんて聞こえはいいですが、要は「使い捨て」でしょう。自ら奴隷になることの愚かさに気づかず、いかに大人に好かれるかばかりを考えている若者の現状は実に腹立たしい。
とはいえ、在学生の間でも大学を批判する動きが出始めています。次の学生が立ち上がりやすい環境づくりはしたと思うので、そこに期待したいと思います。東洋大学には抗議文、要望書を送りましたが、3月中旬の現在にいたるまで回答は一切ありません。今後も回答を求めていきます。
大学は誰のためのものか。言うまでもなく学生のためのものです。理事長のものでも教授のものでも大学職員のものでもない。それを理解していない大学の人たち、少なくとも竹中平蔵は東洋大学から一刻も早く去って欲しいと願っています。
〈企画・構成=編集部〉